いつか書きたい三国志

23年夏_読書記録

伊藤仁斎と朱子学

土田健次郎「伊藤仁斎と朱子学」より。
早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第1分冊, 哲学東洋哲学心理学社会学教育学 = Bulletin of the Graduate Division of Literature of Waseda University. I, Philosophy, oriental philosophy, psychology, sociology, education 42 35-49, 1996
早稲田大学大学院文学研究科
https://core.ac.uk/download/286919125.pdf

仁斎は個々の訓詁については朱子学の注釈を利用してもよいと言う。……(『童子問』引用部分)
ところでよく問題になるのは、仁斎が『語孟字義』上の冒頭で、まず『論語』と『孟子』の「意思」と「語脈」を理解し、そうすれば「意味」と「血脈」がわかるだけでなく、「字義」も明晰になるとしていることである。……(引用部分)
「意思」と「語脈」はそれぞれ文章の語の意味と文脈、「意味」と「血脈」とはその語の思想的内容とその文にみえる思想的脈絡、「字義」とは『論語』と『孟子』を貫く覚悟の概念の内容、である。

まず文章を正確に理解すれば、その文章の思想的脈絡が把握できるだけではなく、用語の概念規定も明確になるということである。「血脈」は『論語』と『孟子』それぞれの書物のなかにも、またこの二書の相互のあいだにも見られる。この二書全般にわたって「血脈」が流れているからである。仁斎はまず『論語』と『孟子』とを虚心に読むことを要求した。十人が十人同意できる思想内容をつかむためである。一人だけが知ることや行うことができ、十人が知ることも行うこともできないのは道ではないと仁斎は言う。……(『論語古義』総論 綱領)

そして今度はその思想内容と個々の文章や語の意味をつきあわせ確認を行なう。それによって個々の文脈を超えた『論語』と『孟子』を貫く概念の用法を理解できるのである。仁斎は「意味」と「血脈」では「血脈」のほうが分かりやすいとし、『孟子』を読む者は「血脈」をまずつかめというが(『語孟字義』下 学)、それは『孟子』のほうが理論的な脈絡をたどりやすいからである。なお「血脈」は「聖賢道統の旨」を言うと仁斎はするが(同上)、一方で「道統」という考えを非公開的な道の考え方として否定している(『童子問』下 第二九章)。つまりここの道統とは孔子と孟子のあいだを流れる思想的脈絡の表現にすぎず、それ以上に伸びていくものではない。ちなみに朱熹も禅宗の伝燈論の非公開性を批判したうえで道統論を説いているが、仁斎はそれをさらに開放しているのである。
……

朱熹もこの血脈という語を使用している。
朱熹の用例については三宅正彦氏が論じているが、

三宅正彦『京都町衆伊藤仁斎の思想形成』、思文閣、一九八七年

用語の理解と思想解釈について三宅氏とは異なった形で、朱熹の読書法を次の三項目に整理してみたい。それは『大学或問』に、
大凡そ疑義、之を決する所以は、義理・文勢・事証の三者に過ぎざるのみ。(伝之十章)
とあるように、義理・文勢・事証の三者である。

このうち義理が文理、文勢が血脈に相当するのは、同じく『大学章句』(経一章)に、「文理接続、血脈貫通」とあることから知られる。三宅氏があげている用例や、それ以外の朱熹の用例を総合すると、朱熹は、
(1)概念語の個々の意味と含蓄を「意味」「義理」「文理」とし、
(2)血のように生き生きとした流れとして把握できる文脈(そこにはまた道が通貫している)を「血脈」「文勢」とし、
(3)更にその文章の解釈を補佐する文献上の証拠を「事証」「左験」とするのである。

カッコ数字のよる段落わけは、引用者(佐藤)による。

三宅氏は用語の相違をそのまま概念の差とする傾向があるが、同じ内容であってもその属性の多様な面を随時表現するためにかかるヴァリエーションができるのであって、結局は上述の三項を出るものではない。

なお筆者(土屋氏、引用者注)がここで特に『大学或問』の例を引いたのは、仁斎が熟読していた『四書大全』に『大学或問』の例を引いたのは、仁斎が熟読していた『四書大全』に『大学或問』が収録されているからである。朱熹はこの三者が全部そろった状態を最善とするが、「事証」は必ずしも得られないのであって、他の二者で文章の理解を行わざるをえないのが通常である。また朱熹は『孟子』から習得できる文章作法に即して「血脈通貫」と言っている。
『孟子』を読めば、義理がわかるだけではなく、熟読すれば作文の法に通暁する。この書は、首尾照応、血脈通貫、語意反覆、明白峻潔、一字の無駄も無い(『朱子語類』一九53)

血脈とはもともと体内の血の流れであるが、一般には仏教の(けちみやく)、つまり法の伝授の系譜という意味が想起されやすく、事実仁斎の用法も朱熹の道統論と類似のものとされたようである。また朱熹の論敵の陸九淵は、読書の際に「字を解す」のみで「血脈」を求めない態度を批判し、そこでも読書がらみで「血脈」が用いられているが、その「血脈」は「骨髄」と並べられ、人間の肉体に類比して道の生き生きした状態の形容とされている(語録下、李伯敏所録79、『象山先生全集』三五)。因みに仁斎は陸九淵の語録を引用したり、読んでいたのは確かである。

仁斎が果たして朱熹からこのような発想をとったかどうかは即断できないが、影響を受けた可能性は少なくはない。特に『語孟字義』では血脈が語脈と関係づけられているのは、文脈という朱熹流の意味をかなり残しているからであろう。また仁斎が血脈を使用する場合は、『論語』、『孟子』、それに他書であっても両書の内容に関わる場合に限られる。それはこの語があくまでも道にかかわる価値を持った語だからである。なお仁斎が字義を問題にする際に意識した陳淳の『性理字義』は、多くの出典が四書に求められ、もと『北渓先生四書字義』と称されていた。ここにもまた朱子学的『四書(字義)』対仁斎流『語孟(字義)』の対立を看取できないわけではない。230513