いつか書きたい三国志

2022年秋に考えたこと

#三國志真戦 虎牢関の戦い

先週 youtubeの生配信で解説役を仰せつかった #三國志真戦 の虎牢関の戦い。
長い触角をそなえた最強の呂布に、攻略困難な地形のダンジョンで追い回されるのが新シーズンの売りなんだそうです。これは、さまざまな三国志の進化した1つのバージョンだと思ってるんです。

史書において呂布は、強いけど「最強」ではない。虎牢関で戦っていない。
雑劇には、独戦呂布(張飛vs呂布)と三戦呂布(劉関張vs呂布)という演目があるらしい。呂布の強さの表現は、雑劇という表現手法(制約)により一騎打ちになりました。触角の冠も、劇中の衣装に由来するとのこと。 #三國志真戦

雑劇などを1本のストーリーに繋いだ『三国志平話』には架空の戦地「虎牢関」が見え、ここで独戦呂布・三戦呂布が行われる。
『三国演義』はストーリーを洗練させて独戦呂布を省いた。史書に接近させるのが基本方針にせよ、関羽が活躍する汜水関の戦いを、虎牢関から分離独立させることも。 #三國志真戦

『三国演義』が目立たせた虎牢関に基づき、日本のゲームなどで呂布は「最強」となり、キャラ立ちのために劇の衣装である「触角」が長くなった。
シミュレーションゲームでは(演劇よりも)兵数や戦場を表現する技術が高い。呂布の「最強」ぶりを、兵数や戦場で表現することが可能に。#三國志真戦

呂布の「最強」ぶりは #三國志真戦 で(実際の地形と異なる)ダンジョンの地形に、数百万の董卓軍が集う「虎牢関」として表現された。
これは、かつて劇という装置のもとで「一騎打ち」に強い呂布が生まれたことの発展系で、スマホゲームという装置が要塞=ダンジョンを生んだ。正統な後継者なのかも。

三国志のゲームは、『三国演義』を基調として正史で割り戻し、日本独自のキャラクターのイメージが混ざり、そのシリーズに独自の設定や仕様、過去作や関連作品との因縁で、「なにものでもない三国志」の様相になっていくんですけど、これって、正統進化の一派だと思ってるんです。 #三國志真戦 然り。

人気作品とか「お金のにおい」に迎合したいのではなく、ぼく自身が、わりとがんばって正史『三国志』を読んできた者の1人だと自任しているんですけど、三国志の入り口は、『真・三國無双3』なので、わりとブレてないはずです。むしろ、正史の原理派?に、史書の見識をもって対抗したい、みたいな態度。221005

修士論文も時代の産物

研究とは、先行研究を読んで粗探しや切り貼りをするだけでは不足で、かといってテキストや史料に耽溺するだけでも不足であり、両者の「往復運動」であると聞きました。
それに加えて、自分の属性=偏向が、3つめの頂点をなすと思うんです。無限遠方からの客観的で普遍的な研究はできないはずなので。

40歳になり、「アンラーン」って概念がすごく気に掛かります。これまで身に着けた知識や経験を消すわけではないが、圧縮してほぐし隙間をつくる。手持ちのカードだけでごり押しするのでなく、内省と整理のくり返しにより、限られたスペース(=自分のキャパ)のなかに新たな構造物をつくる準備をする。

・年表や系図を書き写す少年時代
・歴史学の訓練を受けた学部時代
・約15年の会社員生活(経理屋)
・ウェブで書き散らす三国志ファン
・早稲田大学の修士課程
これらは矛盾はないが支離滅裂。経験を圧縮して意味を整理し構築しなおさないと、まだ何者でもない。修士論文に向けて再統合のため内省中。

イッガースが縷々言うように、歴史学は各時代の産物です。ぼくには会社員として社会に参加してきた年数があるので、歴史学の時代背景を考えるときに、自分に即した問題として捉えやすい。

三國志学会の大会の研究報告で、柿沼先生のコメントに登場したゲオルク G.イッガースの『20世紀の歴史学』。配信の録画を見返し、読み始めるまで1ヶ月の冷却期間が必要でした(冷却期間はひたすら『晋書』を読んでいた)。着手が遅いですが、まだ間に合うはず。報告直後は、燃え尽きちゃうんですよね。

ストレートに進学した修士課程の学生にない視座を持ち得るのではないか。属性の強みをフル活用したい。221005