雑感 > 武漢旅行記19年12月(2)

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4.旅行者の心/1日目の故宮

旅行記を書くことについて

旅行記を書いているつもりが、ノウハウ集みたいになってきました。
社会人って、ノウハウの共有が好きです。ひとりが苦労したら、もう充分ですよ。同じ部署・同じ分野に属する同輩たちは、その苦労をスキップしてほしい。それよりも、もっとべつの、新しい問題に取り組んでほしい!っていう頭が働くんですよね。
旅行って、けっきょく、体力(歩行能力)と、集中力・注意力、それから財力(所持する人民元)が、いずれも潤沢に残っていないと楽しめない。集中力・注意力が削がれる要因が、不慣れな環境や、言葉が通じないというストレス。これらをコントロールできて初めて、史跡を楽しく見られる。

ぼくは、あんちょさんに案内してもらい、観光に集中できました。

ノウハウをネットでシェアすることで、皆さんが旅行に踏み切れるかも知れないし、旅行したとき、たっぷり楽しめるでしょう。

2006年に成都に単独行したとき、旅行記を書いた。当時は、ものすごく長文を書いたし、おもしろい紀行文になったぞ!という自負があったのですが、いま読み返すと、すごく拙いんです。ぼく自身が、14年で成長?したということではないかと。
レイアウトが壊れているので成形が必要ですが、2006年の旅行記はこれ

旅行者としてのマインドセット

2006年の文を読むと、ものすごく「取り越し苦労」をして、かってに消耗していることが分かります。他人との距離の取り方が、この期間、会社づとめして、上手くなったんだと思います。
中国のひとは、われわれ旅行者のことなんて、知ったことではないんです。期待もしてない。その裏返しとしての、失望もない。ましてや、われわれの語学力を査定しているわけでもない。マナーやセキュリティのルールを守り、お金を払うべきときに払ってくれれば、それで充分。
日本国内ですら、ぼくの顔と名前が一致するひとは、それほど多くない。まして、中国では、「黙っていれば、中国人。服装や振る舞いに違和感があれば、少数民族の一員と思われる。口を開けば、言語の通じないへんなやつ」ぐらいです。サッと史跡を見て、サッと帰ってこればいい。

日本国内は、民族?や文化が、単一的な傾向があり(本当に単一かどうかは別として、単一を自任しているひとが多く)、他者や異物を丹念に見つけ出し、つまみ出そうとする。「外国人に優しくない」んです。
しかし、中国は、さまざまな種類の他者を統合して成り立っている国家ですから、日本からの旅行者だって、多種多様な他者の1つに過ぎないんだと思います。

あんちょさんと一緒に旅行したので、ぼくらは、日本語でしゃべっている。
タクシーやエレベーターで、「あなたたちの言語を聞いても理解できないけど、どこの国のひとですか」と聞かれ、「日本人です」というと、「あーそーなのねー」って流されて、以上!終了!っていうのが、1日に何回もありました。

これに続いて、あんちょさんに向かって、「でも、この受け答えをしているあなたは、中国語ができるんですね」って切り替えされるところまで、ルーチンでした。

日本人だと言い当てられたことも、韓国人ですか?って聞かれたことも、新疆ウイグル自治区のひと?って聞かれたこともありました。そんなもんです。「中国語じゃない。しかし、顔は中国人に近い。じゃあ、ウイグル?」くらいの、大雑把な質問です。いずれの場合も、敵意とか、排除意識のようなものはなく、プラスもマイナスもない、シンプルな事実確認でした。
このページの想定読者である、「三国志は好きだが、現代中国は心理的に遠い」というひとは、最低限のノウハウと、心の持ちようを参考にして頂いて、ストレスを減らして旅行して頂けたらと思います。

時差が1時間あります

そろそろ、時系列の旅行記を始めましょう。
目的地は武漢です。ぼくは、家に近い名古屋(中部国際空港)から飛びます。現地のひと(武漢の中国人)にあとで聞いたら、「歴史上、武漢と日本を結ぶ初めての直行便は、名古屋と武漢を結ぶものだった」そうです。伝聞なので、事実は検証していませんが…。それほど、名古屋は武漢とゆかりがあるそうですが、残念ながらぼくは、今回は直行便ではありません。
国境を超えた飛行機は、これです。

出発地: 名古屋 (NGO-中部セントレア国際空港) 出発: 09:00
到着地: 北京 (PEK-首都空港) 到着: 11:50

出発地: 上海 (PVG-浦東空港) 出発: 18:00
到着地: 名古屋 (NGO-中部セントレア国際空港) 到着: 21:35

行きは2時間50分、帰りは3時間35分?
ちがいます!
名古屋における9:00に出発し、北京における11:50に到着。
中継地が、北京と上海で異なるので単純比較できませんが、ここで言いたいのは、時差があるってことです。行きは、飛行機の所要時間は、3時間50分だが、中国のほうが1時間遅いので、1時間のマイナスになり、2時間50分に見える。帰りは、じつは飛行機の所要時間は、2時間35分だが、1時間のプラスになり、3時間35分に見える。
正解は、行きは3時間50分、帰りは2時間35分なんですね。

上海のほうが日本に近いし、西から東への風(偏西風)の助けも借りて、帰りのほうが、飛行機の時間は、かなり短かったです。

時間が長いと、適宜、機内食が出ます。機内にトイレがあります(今回は使わなかった)。寝れば、時間をワープします。時間が長くても、問題はないのですが、今回、恥ずかしいことに、分かっていなかったので、心の準備に差が出ました。

北京で初めて電車に乗る

北京で、飛行機の乗り継ぎ(トランスファー)があったので、空港から外に出ることに。故宮が見たい。事前に見ていた、どっかのサイトで、

交通機関で行く場合は、空港からエアポートエクスプレスで「東直門」まで行き、地下鉄2号線に乗り換えて「建国門」へ。さらに1号線に乗り「天安門東」で下車すれば、後は徒歩2分程度です。片道約1時間で約30元(約500円)とリーズナブルに移動できます。
空港での手続きや移動時間を考慮すると、5時間以上あれば観光できますよ!

とあった。これを、自分だけをメンバーにした、LINEグループに送ってあった。つまり、自分のメモ用のLINEです。…この情報は正しかったです。

つまずきのポイントは、安全検査(手荷物検査=にもけん)です。飛行機に乗るとき、検査があるのは知っていますが、鉄道(エアポートエクスプレス、地下鉄、日本の新幹線に似ている長距離鉄道)に乗るとき、すべて荷物検査があるんです。
かばんを下ろして、機械に通す。自分の体に、探知機を当てられる。

衣服に金属が使われているのは、普通のことなので、「ピー」ってなりますが、咎められない。台に乗って、前を見られて、後ろを見られて(ホウミエンって促される)っていうルーチンです。前のひとの行動をマネてれば、言葉が分からなくても大丈夫です。


エアポートエクスプレスの場合、荷物検査が渋滞するのを防ぐため、荷物検査をしている場所に進む前に、テープで足止めされて、待たされます。この写真は、別のところ(武漢)で撮ったものですが、こういう警備員がいて、

テープで足止めし、一定の人数が裁けたら、テープを開けてくれます。警備員が開けない限りは、テープにより、「行き止まり」になっています。RPGゲームのマップに、不備があるように見えるので、とまどいました。
飛行機以外(鉄道でも)荷物検査があるって知らずに、テープを乗り越えようとすると、それは、開き直ったテロリストの振る舞いですから、やってはいけません。というか、ぼくは、やりそうになりました。無知は怖い。

券売機は、ちょっと戸惑いますが、ぼく自身、周囲に迷惑をかけないように、慌てて買っていたので、写真を撮ってないです。
ぶっつけ本番でも、なんとかなった。気をつけたいのは、投入できる紙幣の種類が、著しく制限されていること。まあ、飲み込めずに返ってくるので、致命傷にはなりません。100元紙幣しかなかったので、有人の窓口で買いました。
乗り換えは、難しくありません。どこの駅のホームを、設計図が同じなのでしょう。

ルールを知らないと致命傷になりそうなところを、重点的に書いています。


故宮で音声ガイドを聞く

最寄り駅を降りてから、行列に並ぶ。中国人は、例の身分証カードをタッチして入場している。外国人なので、ゲートのひとにパスポートを見せる。
そして、はい!

はい!


お金を払うと、外国人向けの音声ガイドが借りられる。後ろにボタンが付いていて、言語を選べるのですが、はじめ借りたものは、日本語が入っていなかった。窓口を探して、日本語が聞けるやつにしてください、って交換。



この写真では消えていますが、小さい穴に見えるのが、赤い電球。電球が埋めこまれているところに、解説が登録されており、自分がその付近に立つと、その場所に見合った解説が流れるというハイテク。
聞いている途中に移動すると、切り替わる。聞き終わったら、「次にお進み下さい」と言われて、音声が止まり、電球が付かなくなる。すべて聞くためには、4時間?かかるらしい。


城壁に登り、東側をぐるっと回ってきて終了!

以上が1日目です。夜にあんちょさんと合流して、2日目は、合肥新城に行きました。やっと三国志らしくなってきます。191228

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5.中国の経済・政治の雰囲気

旅行記って、こんな写真を撮ってきました!って見せるものだと思うんですけど、どうも主流派の楽しい感じになりません。まあいいか。

もちろん中国人のほうが詳しい

10年以上前の三国志系の旅行レポートって、「現地の中国人は、三国志を知らないようだ。文化に精通した日本人が、未開のスポットを掘り起こし、ものすごく苦労しながらたどり着いたぞ」みたいなタッチのものがあります。
しかし今日、見学するもののチョイスによりますが、そのような冒険をしなくても、充分にたどり着けるのではないでしょうか。

いまだに、「現代中国人よりも、われわれ日本人のほうが、三国志に詳しい」みたいに言うひとがいますが、ぼくは、そんなことは全然ないと思いますけどね。中国人は、歴史や文化をものすごく大切にしている。だから、外国人が飛び入りで旅行しても、快適に見学できるところがおおい。
この20年ほどのあいだに、中国が経済的・IT技術的に発展したからなのか、はたまた、先行者たちが旅行記をおもしろくするために脚色したのか、ぼくには判断不能ですが、三国志旅行は、ふつうに成り立つ状況になっていると思います。

現代日本の衰退

帰国してから、井上智洋『MMT_現代貨幣理論とは何か』を読みました。発売案内を見て、ジャケ買い(現物および中身を見ずに購入)した本です。

届いたとき、薄くて軽かった。本文は150ページを下回るほど。このレーベルだと、普段は、もうちょっと「重たい」ので、失敗したかなと思った。
読み終えました。これ、同じ質×同じ量の論を展開するために、2倍の文字数を費やしたバージョンだって作れるだろうな、だと思いました。それだけ、密度が濃い。もっと著者の話を聞きたいし、どこでもいいから、かるく問い掛けたら、余裕で雄弁に答えてくれそうなバックグラウンドを感じました。
教科書的な入門書というか…、ほんと、著者がMMT理論と向き合っていくなかで、その上澄み・取っ掛かりだけをすくったら、薄い本になりましたという感じ。


『MMT』の著者_井上氏は中国の話はしていないのですが、共感したのは、日本の「失われた30年」に対する懸念と、それが「失われた40年」に延長されることへの危機意識です。
ぼくは37歳で、「物心がついたときからデフレ」です。小学校のとき、バブルが崩壊したという。90年代は、多段階で転落していったので、30年が失われた原因は、株価下落の一撃ではなさそうですが、とにかく、「失われた30年」以外の経済状況を体験したことがありません。

「就職するときデフレ」というロスト世代よりは、少し歳下です。

学問や文化の衰退も、不可避・不可逆だと思ってきました。反例(=経済や文化の発展期)を知らないから、挽回のイメージが持てないでいました。しかし、海外旅行をすれば反例を見ることができます。

日本人の落ち込んでいる層は、海外に行くことすら出来ないほど、活力が行われている…のかも知れない。市場原理のおかげか、航空会社の努力?により、渡航費そのものは下がっているけれど、リスクというか、ちょっとした冒険をして海外にいくエネルギーが、失われている。だから、「海外に行けば、解決するじゃん」という提案自体が、そもそもムリなのかも知れませんが。
裕福もしくは文化的な家に生まれたら、親がふつうに海外旅行するので、子供は旅行するようになるんですよ。しかし、親が海外旅行に消極的だと、その貧しさも「遺伝」するんですよね。あ…、これは、ぼくの話です!


今回の旅行で、現地の20代後半と少し話すことができたのですが、国家の数十年先の未来を、(過去に)権力者が発信したメッセージをヒントにして捉え、みずからの経済活動に結び付けて、仕事に邁進していたんですよね。
かれらは、リアルな人生で、経済が発展していることを見てきた。「成功体験」という言葉を、ぼくはウソっぱちだと思うのでキライですけど(理由は省きます)かれは少なくとも、そういう未来を描くことができる状況にいた。外国人に向けて、カッコをつけているんじゃなくて、「普通、そう考えるでしょ」という感じ。
歴史や文化を培うには、国力・経済力が必要なわけです。下部構造ってのとは、違うと思いますけど(笑)それらが、中国では育っているのだな。日本の30代以下が見たことがない、発展の歴史があるのだな…と思ったのでした。

日本が、GDPが中国に抜かれたとか、何倍もの差を付けられたとか…、それは事実ですけど、GDPのような、規模が大きいと有利になるだけの「足し算」は、まあ、あんまり関係ないというか、日本がビハインドになっても、ぼくにとって当たり前というか、あんまり感慨はわかないんです。
1人あたりのGDPとか、所得の平均とか、そういう「割り算」で求められる指標も、国を比較指標としては有効だが(ぎゃくに割り算をしないと比較できない)、机上の話だから、あまり意味があると思わない。

異常値があったり、偏差があったりすると、実態をイメージしそこねるのは、数字を使って強引するときの常ですので。

しかし、国家というか、未来に対する信頼感のようなものは、ものすごく新鮮というか、未知のものに触れた!と思ったし、羨ましいと思いました。

街のいたるところにスローガン

今年は、中華人民共和国が、建国70周年でした。
周年イベントなのか、いつもそうなのか分かりませんが、あちこちに「中国夢(チャイニーズ・ドリーム)」とか、「自由・平等」とかのスローガンが貼ってあるんです。鉄道や空港のほうが、たくさん目に付きました。
写真を撮ってくるのを忘れたので、@ykmeiling より。


中国人に、スローガンの掲示を、どう思うのか聞いてみることができました。
ひとによって反応が違うんですけど、「あたりまえ」「気にしたことがない、そういうものかな」という声もあれば、「知っているけど、信じているわけではない」とか「政府のメッセージを鵜呑みにするわけではない」といった声もありました。
会話を通じ、ぼくが勝手に読み取っただけですけど、このように、外国人から興味を持たれることに、複雑な感情を持っているような…。

なかなか距離の測り方が難しいんですけど、何に似てるかなと思ったら、日本企業の自社工場や事務所に、スローガンが貼ってあるのと同じなのかなと。
日本の場合、街中や鉄道に、こういう価値観は貼ってないし、偉い人の顔写真があることは少ないのですが、会社のなかだったら、けっこうあるじゃないですか。
創業者の肖像とか、いまの経営者からのお知らせとか。
社是とか目標とか、組織の「核心価値観」にあたるものが、社員を統合するために貼られていると思います。社員たちは、その有効性に懐疑的だと思いますが、違和感なく定着しています。

経営層は貼りたがるし、貼ることを担当業務にしている部署は、貼るしかない。むしろ、告知するITツールを導入し、浸透させることに(思考を停止させたまま)取り組んでいる。…と、ぼくは日本企業で働いていて思います。


中国の「息苦しさ」は、会社に似ている

中国人は、政府に面と向かって批判を加えない。ネットに規制があるが、酒場では自由に発言することもある…と聞きました。
さすが、国家の力が強いからな…とは思いますが、
日本の会社員だって、経営者や上司に直言しないし、検閲が怖くて社内LANやメールに本音は書かないが、酒場で会社を批判するから、連想して中国社会を捉えることは可能ではないかと思いました。

日本の会社内でネットを閲覧したら、すべて記録が残ってチェックされる可能性がある。「業務に使用するときのみ、使ってよい」と言われていますが、ネットなんて、よく分からずリンクを飛ぶものだから、あらかじめ用途を絞って、リンクを踏むのは難しいですね。踏んだ瞬間、「不適切」なサイトが出てきて、冷や汗を流して短時間で閉じ、周囲の視線を気にする…とか、よっぽど独裁的じゃないか。
会社によっては、閲覧できないサイトが決まっているし、ほんとに、「なんだ、中国の規制が厳しく、独裁的だといっても、毎日通っている日本の会社なみじゃん」という感想を持ち帰ってきました。

中国では、Google・Facebook・youtubeが見られません。


日本人は画一的な身分証明書がなく、運転免許証・保険証・マイナンバー・住基ネット!?と迷走している。国家からの把握がゆるい。把握する側が無計画というか、無能なおかげで、なぜか自由??

その代わり、お役所が効率が悪いですけどね。

中国の身分証明書は、タッチ認証可能なカード。国家からの把握力が強い。ディストピアに思えましたが、日本の会社は、全員が顔写真入り社員カードをつねに首からかけ、屋内のドア通過にも必要です。どこを、いつ通過したのかを再現可能です。やろうと思えば。なんだ、中国が怖ろしい監視社会だといっても、日本の会社じゃんと思いました。

中国は鉄道や街に、警備員?警官?や武装したひとがいて、歩道でライフルも見た。ものものしいと思った。でも、日本の会社にも警備員がたくさんいて、監視カメラも付いてるし(技術的にまだ顔認証はできていない)、ゲート出入りの記録も全部記録されている。目に見えるところに、武器こそないが、同じだなと思った。へんな感想ですけど、中国は違和感がなかったんですよ。

日本の会社は、「和をたっとぶ」から、システム同士が無節操に導入され、互換性もないから、非効率なんですけどね。多くの場合。


仕事の分担範囲について

国民性と価値観、政治経済の歴史及び現状が複雑に絡むので、論じるのが最難ですが、
日本人は、担当外の仕事も自発的に、かつ手際よく行えという相反するプレッシャーがあるので、身動きが取れません。旅行先の中国で見た限りでは、細かく区切った単純な仕事(単純ゆえに、習熟しやすく、効率が上がりやすい?)を自信を持ってやってました。
1人あたりの「生産性」は低いのかも知れませんが、それで食っていけるならば、それもありなのか。軽率に分析できませんが、社会主義と言われるものが、引き継がれているのかも知れません。

みんな担当範囲しかやらないから、民間のキャッチセールス(切符を代わりに買ってやるとか、みやげ物を売りつけるとか)が成り立つ、という見方もできる。
ぼくが見たわけではありませんが、聞くところによると、
銀行のフロアにも、銀行の正式なサービスを「補完」する民間業者がいて、商売をしているそうです。下手をすると、銀行の利益に反するかも知れないが、職務範囲がうまく区切られているなら、それでいいのでしょう。「勝手に商売するやつを排除する」のは、銀行員の仕事ではない…、怪しげな業者を排除する業者がいない。放置する以外に手がない…、みたいな理屈が、成り立っているのかも知れません。
そんなやつを、のさばらせておくと、銀行の「安心」や「品位」が損なわれると思うのは、ぼくの(日本人の?)思い込みかも知れず。『韓非子』の言うように、職能をきちんと分けていれば、たがいに干渉しないものなのか。

われわれ観光客にとっては、欲しくないサービスを押しつけられるのは悲劇だけど、こちらも、「不要(プーヤオ)」を言えば、一撃で撃退できるわけだから、財産権や身の安全が脅かされているわけではない。

最後に、観光っぽい写真を!張飛さんです。191229

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